2011年5月31日火曜日

光州31周年集会を開催しました!

神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

今日は5月最後の日です。5月が来れば思い出すのは、やはり光州です。1980年5月、真の民主主義を求めて立ち上がった光州市民の光の記憶。私たちの祖国の民主主義は血の堆肥の上に根を張っているということ。アメリカによって民族の自主権を奪われつづけているという現実。

だいぶ時間がたってしまいましたが、5月最後の日に光州31周年を記念した私たちの行動の報告をしておきたいと思いましたので、5月15日に行われた「光州民衆抗争31周年-在日韓国人関東地域集会」の報告をしたいと思います。

 * * *

今回の集会は、地域ごとに全国で開催したのですが、私たち韓青神奈川は東京で開催された関東地域集会に参加しました。

5月7日に行った炊き出しの映像まとめや国内の進歩政党の創党11周年の記念映像などの上映から始まり、韓統連中央の孫亨根議長の記念講演「朝鮮半島の平和を実現し、2012年政治決戦に勝利しよう!」、韓青も取り組んでいる来年の在外選挙の広報運動についての報告、決意表明や決議文の採択が行われました。

激動する朝鮮半島を取り巻く情勢、韓国の国内情勢、そして日本、在日同胞を取り巻く情勢を学ぶとともに、真の民主主義を祖国の地に打ちたてるために2012年の国政選挙で6・15勢力が勝利することが、光州民衆抗争の精神を継承する私たちの現代的な課題であるということを確認しました。

朝鮮半島の平和と2012年の政治決戦勝利、光州民衆抗争精神を継承して自主・民主・統一を実現すること。光州民衆抗争から31年目の今年、韓青はさらなる運動にまい進していくことを決意しました。

 * * *

個人的にも、光州民衆抗争には大きな思い入れがあります。

初めて韓青で祖国、韓国の歴史を勉強したときに、1980年に光州で戒厳軍による市民虐殺があったという歴史を知りました。「ルーツはあるけど遠い国」としてそれほど興味のなかった祖国でしたが、まさかそんなに苦しい歴史があったなんて...。好きでも嫌いでもなかったけど、悪い国だったのか...。こんなんじゃルーツを誇りに思うことなんかできないと思いました。とてつもなくショックでした。

しかし、虐殺という悲惨な事実とともに、血を流し倒れた光州市民が祖国の真の民主主義のために立ちあがったという事実も知りました。恐怖と悔しさで押しつぶされそうだった私の胸が、力強くドクンと脈打ちました。初めて自分に韓国の、朝鮮民族の血が流れていることを、誇らしく体感した瞬間でした。

歴史を学べば韓国の民主化が、自由と民主主義、統一を求めた民衆の犠牲によってに勝ち取られてきたということがわかります。特に光州が流した血の堆肥の上に育った樹木が、いまの自由と民主主義の土台となっているといえるでしょう。

5月が来れば、思い出す。

再び民主主義が後退させられている現在、前に倒れた先達を越えていく私たちが何を継承し、何を行っていくのか。5月に来れば、問いかけます。

民主 光州

2011年5月30日月曜日

更新を再開します。

神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

この間、まったく更新されていませんでした、この韓青神奈川ブログ。というのも、渾身の被災地ボランティア報告エントリーが急に飛んでしまったために、管理人がブログ更新の意欲を失ってしまっていました。

くそぅ、Google...。けっこう信頼していたのに...。

ですが、そう落ち込んでばかりもいられません。この5月はたくさんのイベント、新しい仲間との出会いなど、盛りだくさんでしたし、活動の報告もしていかなければなりません。

ということで、気を取り直して今日からまた更新を行なっていきます!

チャルプタッカゲッスムニダ~!

韓国

2011年5月9日月曜日

東北に炊き出しに行ってきました

負けんでねっど!炊き出し隊
神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

以前に告知していた通り、5月7日(土)に宮城県の避難所を訪問して、炊き出しを行ってきました。神奈川からも車を出して、有志のメンバーで参加してきましたので、今回はその報告をさせてもらいます。

今回訪問したのは、宮城県亘理郡山元町の山元町立山下中学校。福島よりの場所に位置し、今回の炊き出しをコーディネートしてくれた仙台在住のS先輩の出身地でした。

今回はもともと女川に行く予定でした。女川は元従軍慰安婦の宋神道ハルモニが住んでいた町で、かねてからS先輩が支援活動などでよく訪れていたという経緯があり、今回もぜひそこにという話だったのです。ちなみに宋神道ハルモニはご自宅は津波の被害にあわれましたが、ご自身は無事で、現在は別の場所に避難していらっしゃいます。

しかし、女川は被災地として有名になってしまったために、ゴールデンウィークということもあり、多くのボランティアの方が入っていて大変混雑しているという情報があったので、今回はもうひとつS先輩が縁のある場所として、山元町に行くことになりました。

 * * *

ということで5月6日の夜、神奈川県本部に集合して、カセットコンロや鍋、キッチンペーパーなどを準備した私たちは、全体集合のために秋葉原へ。今回の炊き出しに参加する他地域のメンバーと合流して、結団式をもった後、それぞれの車に乗り込んで一路北へ。

神奈川号
神奈川の車には、韓青神奈川のツートップと三重から原チャリで参加したチェビョ(厳密には三重まで原チャリで帰る)、多くの学生の支援を携えて大阪からやってきた学生協関西のカンチ、そして民族時報社記者兼韓統連東京の東大院生SYHさんという濃すぎるメンバー。

車が走り出しても後部座席に座った初対面のチェビョ、カンチ、SYHさんが全く会話してなくて、運転しながら大丈夫だろうかと心配になりましたが、そのうち仲良くなるだろうと放置。でも心配もなにも、次の日が本番でもあるし、夜の車移動=運転手を気遣うふりしていかに寝るかが勝負だったようです。

東北道は渋滞することもなくスムーズにいきました。ただ、福島県を走っている時は、やはりピリッとした緊張感をもちました。こういうのが風評被害とかにつながっていくものなのかもしれないと思いながら、でも緊張してしまう自分。SAの店員さんがマスクしているだけで、いろんな想像をしてしまう。思っている以上に染み込んでいるものがあるんだと実感しました。

そして仙台・宮城料金所に無事到着し、今回の炊き出しをコーディネートしてくださったS先輩ご夫妻と合流。仙台駅で群馬、そして北海道!からこられた先輩方、そして実家のある仙台に戻って復興のために汗を流している韓青東京のダニーとも合流しました。

仙台市内の主要部分は、一見普通のようです。思った以上に普通の生活があり、初めて行きましたが綺麗な街でした。しかし、ちょいちょいビルにネットがかけられています。どうやら壁やタイルなどが落ちてしまうのでかけてあるようです。

仙台市内のビル
また、自衛隊車両も結構走っています。被災地に向かっていく道は、特に多かったです。意識するまでもなく震災の爪あとは、いたるところで見られました。


自衛隊車両
炊き出しの場所である山元町立山下中学校に向かう前に、津波で直接的に被害を受けた沿岸地域も、車中からですが直接見ることができました。ゆりあげ地区、そして福島に入って沿岸地域をみてきました。

車窓に飛び込んできた荒廃した景色
津波で被った海水が残る
道の路肩にうちあげられた船
うち捨てられている半壊した車
何もなくなってしまった街の風景
積み上げられた瓦礫

絶句です。

ひしゃげたガードレール、打ち捨てられた半壊の車、道路脇にうちあげられている船、破壊された家屋、そして津波で流されてしまって何もなくなってガランとした寂しく、恐ろしい街の風景。福島、宮城、岩手まで何百kmとこの光景は続いているという現実が、はじめて実感として、恐怖として襲ってきました。

車内には、カメラのシャッターを切る音だけ。その時僕たちにできたことは、とにかくこの事実を焼き付けようということ。もちろんそれは「記録」という意味合いでもあるのですが、それよりも自分自身に「記憶」として焼き付けようという意識だったと思います。

* * *

そうこうして、今回の目的地、炊き出しを行なう山下中学校に到着しました。思った以上に綺麗な中学校でしたが、ここには約300人の方が避難生活を送っているとのことで、敷地内にテントも多かったです。

避難所に到着
避難所内にテントも
早速テントを建てて、準備を開始しました。トックの調理、キムチやコーヒーなども準備しました。民主女性会の先輩方の指導の下、みんなで美味しいトック作りに真剣です。

テントを建てて炊き出し準備開始
トックの調理中
コーヒーや柚子茶も
実は、スミスをはじめとした運転手4人は、夜行での往復の先発完投を目指していたために、現地ではひたすらに休息をとらせていただきました。

本気の爆睡(笑)
ともあれ、炊き出しには避難所のたくさんの方が来ていただいて、みなさん口々に「美味しいわぁ」「いつもと違うものだから嬉しい」との声をいただけました。特にキムチはニオイもあるので同かなと思っていましたが、とても好評でこちらがビックリするくらいでした。

たくさんの方が召し上がってくれました
トックだけでなくキムチも人気
そして、今回は炊き出しだけでなく、韓国/朝鮮の伝統楽器の演奏も披露してきました。避難所生活ではなかなか娯楽が少ないということも聞いていたので、韓青の十八番であるサムルノリをやってきました。

鯉のぼりバックでキルノリ
体育館でサムルノリ
練習の時間もとれなかったので、演奏の出来に関しては・・・まぁまぁといったところでしたが、現地の中学生をはじめとして、避難所の方々が楽しんでくれたのが何よりでした。

また、直接お話を聞いたり、交流する時間ももてたことは、とても貴重な体験になりました。

明るい中学生
ただ、明るい交流の中にも、ご家族や友人、知人がいまも行方が分らないといった会話があり、あらためて今回の被害が深い傷を生々しく残っていることを感じさせられました。

そうこうしているうちに長めのランチタイムも終わり、日も少し傾きかけてきた頃に炊き出しは約300食を出し切って無事終了しました。

みんなで「負けんでねっど~!」
最後にみんなで記念写真を撮りました。シャッターの掛け声はもちろん、「負けんでねっど~!」

* * *

しっかりと後片付けをした後は、避難所を後にして一路仙台市内へ。ここで、ボランティア隊の疲れを癒すためにとS先輩が温泉を準備してくれていました。逆に申し訳ないと恐縮しつつ、さっぱり汗を流して一休み。

風呂は命の洗濯です
さらに、温泉で疲れを癒した後には、仙台名物の牛タン定食で打ち上げ!なんだか本当に申し訳ないなぁと思いつつ、がんばった後のご飯は最高の味でした。

牛タン定食うまし!
もちろん食べるだけでなく、それぞれの感想やこれからの自分の行動、決意についても、この打ち上げで語り、約束しました。「忘れちゃいけない」ということから、それぞれの行動につなげていこうという思いを、全員が確認したと思います。

そして、ここで最後に語られたS先輩のお話がとても印象的だったので、意訳になりますが引用しておきます。
もちろん物理的な被害もそうなのですが、被災したすべての人は、つらさを胸に抱えています。けれど、横にいる人も同じように被災した人であり、つらさを抱えているので、胸の内を語ることが出来ません。語ることの出来ないつらい思いは、澱(おり)の様に積もってしまいます。みなさん、一日でも数時間でもいいので、被災地を訪れてください。そして彼らの話を聞いてあげてください。自分には出来ることがないと思わないでください。語ることで救われることもあるのです。一人でも、週末だけの少ない時間でも、来たいと思う方は自分に連絡をくれれば、コーディネートします。よろしくお願いします。
語ることですべてが晴れるわけではない。けれど、語ることで積もり凝り固まってしまう悲しみを和らげることは出来る。誰にでも語るべき時が必要ですよね。在日同胞として、「身世打鈴」が身に染みる僕らとしては、なおさらそう感じてしまいました。

打ち上げを終え、車にみんなが乗り込み、一路南へ。神奈川号は日付が変わった頃には渋谷を経由して、横浜に無事に戻りました。総移動距離は850キロ、事故が無くて何よりでした。

 * * *

今回の炊き出しは、
  1. 対策委員会に寄せられた義援金を有効に活用して、会員および同胞、日本人被災者を炊き出しで慰労し、激励を直接送る。
  2. 炊き出し活動で被災現地に行くことで被災者の痛みをともにし、原発災害の克服にむけた各自の責任意識を高め、今後の活動の糧とする。
という趣旨で行いましたが、目的を立派に果たして帰還したと評価できると思います。

そして、被災から2か月という時間の経過も実感させられました。瓦礫は片付いていると言うには程遠いにしても、徐々に整理されつつあるそうです。また、避難所から生活の糧をもとめて、仕事に行かれている方々もいらっしゃるそうで、思った以上に、避難所にいる方が少なかったのも事実です。人が生きていくということの現実的な重さを知らされました。

炊き出しにこられた方は、高齢の方や子どもたち、山下中学の生徒、避難所のスタッフのかたなどでした。いわゆる働き盛りの男性の数は少なかったように思います。しかし、避難所で生活されているということは、つまり、地震と津波で家をなくされた方がたで、肉親をなくした方なのです。トックを渡すときに交わす短い言葉に、被災という現実の重さがひしひしと伝わってきました。

参加者にはそれぞれに、いろんな宿題を与えられたと思います。韓青神奈川としても継続して出来ることを行なっていきたいと思います。

東北 身世打鈴

2011年5月6日金曜日

「神奈川マダン@新大久保」やりました!

神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

GW真っ盛りの5月4日(水)、行ってきましたよ、新大久保!そうです、前にお知らせしていた「神奈川マダン@新大久保」をやってきました!

今回の「神奈川マダン@新大久保」は、
なんしか在日コリアンの若者が集って、韓国料理食ったろうぜってな具合の大雑把(笑)な企画で、なんだったら同胞同士の交流も深められるという素晴らしいマダンを作ろう!そして、テコンドーに興味がある人は、神奈川の女子テコンダーの試合を応援しに行こう! 
という趣旨で行いました。まぁ、いわゆるひとつの休日だし、ラフに遊ぼうぜってやつです。

西早稲田でテコンドー観戦&応援、その後は韓流ブームで人でごっちゃがえしている新大久保で韓国食材をこっそり買い込み、みんなが集合してからはサムギョプサルに舌鼓を打つ!もちろん美味しいお酒も胃袋に打つ!(笑)

そして、まぁみんな、よくしゃべる!私スミスもアンストッパブルな語り手と自称していますが、みんなそこは在日していても韓国人、朝鮮人。血が騒ぐというか、つば飛ばしながらしゃべくりまくり。ポンポン話も飛ぶし、声でかいし、大爆笑だし。いやはや楽しすぎでした。

なんだかんだと昼から集まって、終電まで。久しぶりに会う仲間もあいかわらず元気で、それぞれ頑張っていることも確認できたし、本当に楽しい時間を過ごせました。

最後に子どもができたらテコンドーを習わせようということと、5月18日のウリマル開講式でまた会おうと約束して、久しぶりの神奈川マダンは終わりました。

韓国料理も本当に美味しかったし、毎月やってもいいかも?

テコンドー 新大久保


2011年4月28日木曜日

神奈川マダン@新大久保

サムギョプサル!
神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。今回はイベントのお知らせです。

GW真っ盛りの5月4日(水)、久しぶりに神奈川マダンを開催します!

「神奈川マダン?」という方も多いと思いますが、韓青神奈川では、定期的に在日同胞青年が気軽に集い、交流できる空間を作ろうという趣旨で、「神奈川マダン」というイベントを開催しているのです。ちなみに「マダン(마당)」とは、韓国語で「広場」の意味です。


【神奈川マダン@新大久保】
  • 日時:2011年5月4日(水) 17:30~(集合17:00)
  • 場所:新大久保・韓国家庭料理 アサラン ※新大久保駅集合
  • 会費:4,000円(飲み放題込み)

今回の「神奈川マダン@新大久保」は、なんしか在日コリアンの若者が集って、韓国料理食ったろうぜってな具合の大雑把(笑)な企画で、なんだったら同胞同士の交流も深められるという素晴らしいマダンを作ろうという趣旨で行います。

開催場所は新大久保!17時集合で17時過ぎからの開始を予定しています。

韓国料理?じゃ焼肉?いやいやサムギョプサルでしょ!ということで、週3回は新大久保に通っていたという韓青神奈川の中で最もディープ新大久保な女こと、ウッチーがチョイスしてくれたお店で、サンギョプサルを食べまくります!

 韓国家庭料理 アサラン
 http://r.gnavi.co.jp/e703100/


「神奈川マダン」と銘打ちながら「東京じゃないか」という突っ込みが入りそうですが、神奈川の仲間がその日に新宿でテコンドーの大会に出場するので、応援+新大久保で交流会を持とうということになったのです。 

なので、テコンドーに興味のある方は、日中からの参加で一緒に応援、見学もできます。

  • 在日の仲間に出会いたい! 
  • 韓国料理が食べたい! 
  • ついでに韓流ショップ?もチェックしたい! 
  • テコンドーに興味のある! 

神奈川在住の方をはじめ、在日の方なら、まとめてドンと来いです!

GWの神奈川マダンに興味のある方は、↓までどうぞ。

Tel :0120-734-101(フリーダイヤル)
Mail:hckanagawa@gmail.com まで。 ※送信する時は@→@


追伸;

当日は看護師も参加する予定ですので、食べすぎにも対処できると思います。

韓国料理

2011年4月26日火曜日

東北に炊き出しに行きます

神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

韓青も参加している「東日本大震災被災者救援・被曝防止対策委員会」で、来週末に東北の避難所を訪問して、炊き出しを行うことになりました。

もちろん韓青神奈川からも私スミスをはじめとする青年がこの炊き出しボランティアに参加するのですが、在日同胞青年の炊き出しのボランティアを募っていますので、ここに転載しておきます。


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すべての被災者にはげましを 原発震災の克服と復興のために、東日本大震災被災者救援・被曝防止対策委員会の炊き出しボランティアを呼びかけます。

東日本大震災被災者救援・被曝防止対策委員会(対策委員会)には、全国各地から義援金が寄せられています。これを有効に活用して、被災した韓統連の会員および同胞、日本人被災者のみなさんに、韓国料理のトックを炊き出して慰労し、原発震災の克服と復興に向けた激励を直接送り届けましょう。


■概 要
  • 主催 東日本大震災被災者救援・被曝防止対策委員会(対策委員会) 
  • 主管 韓統連、韓青、民主女性会  
  • 日時 2011年5月7日(土) 午前11時30分―午後2時ごろ 
  • 場所 宮城県内の避難所(具体的な場所は現地会員と協議します) 

■内 容

○スケジュール
  • 5月6日(金) 午前0時 適当な高速SAに集合 打ち合わせ後 出発(東京から仙台まで車で約7時間) 
  • 5月7日(土) 早朝 現地着 避難所で準備・昼食炊き出し・後片付け  午後 仙台市内へ移動 休憩・食事 夜 仙台発 
  • 5月8日(日) 早朝 関東・東京着 解散 

○炊き出しの内容
  • トック(300食程度を予見)+キムチ+α 
  • 炊き出しの下準備を5月6日(金)午後2時から台東区民館で行います。こちらもボランティアを募集します。 

○移動手段
  • 現地での移動、食材の運搬などを考慮し自家用車での移動を考えています。
  • 車(ワンボックスカー)の提供、運転など積極的にご協力お願いします。 

○参加費用
  • 交通費の半額(3000円程度)の負担をお願いします。 

■問い合わせ・申し込み

○ボランティア参加に当たって
  • 現地での活動を自立的に行なえることが条件になります。
  • 今回は在日同胞青年ボランティアの募集になります。
  • 車の運転ができる方は、特に歓迎です。
  • サムルノリなどの民族楽器の演奏も予定していますので、演者希望も歓迎です。
  • 参加希望の方は、フリーダイアルかE-MAILでご連絡を下さい。

○韓青神奈川県本部
  • 〒221-0057 神奈川県横浜市神奈川区青木町2-1 シーアイマンション207号 
  • TEL 0120-734-101 
  • E-MAIL hckanagawa[アット]gmail.com ※送信する時は[アット]→@ 

ボランティア

2011年4月19日火曜日

「4月革命51周年記念・関東地協青年学生集会」を開催しました

4月の若き獅子たち
神奈川県下、そして全国の在日同胞青年のみなさん、アンニョンハセヨ?

韓青神奈川ブログの管理人をしています、スミスです。

今日は4・19ですね。4・19といえば、私たち韓青の誕生の契機となった韓国の4月革命です。

日本では「革命」って言葉はなかなか馴染みがないので、はじめて4月革命を知ったときに「祖国は革命が起こったことがあるのか!なんかスゲーな!」と思ったものです。

ちなみに憲法の前文にもがっちり確認されているんですよね。
悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に民族の団結を強固にし...(Wikipediaより)
そこで、4月革命の51周年を契機として、その現代的な意義を共有し、これからの2011年の活動へと向かっていくべく、東京本部の仲間たちと4月17日に「4月革命51周年記念・関東地協青年学生集会」を開催しました。

東京に集った関東地協の仲間たちは、あらためて4月革命の意義を学び、その精神の継承者を自負する私たちがどのような社会を創造していくのか、どのように理想を実現させていくのかということを語り、具体的な実践を約束していきました。

神奈川でも、2011年度の運動が具体的に始っています。東日本においては、原発や地震の問題も引き続いていますが、4・19精神を継承して民主と平和統一、現代的にいくと6・15共同宣言の実践を頑張っていくぞと決意を新たにしました。

■4月革命とは 
1950年代、政権基盤の弱かった李承晩(イ・スンマン)大統領は、進歩的な人士を「北のスパイ」として処刑、数々の不正選挙や終身大統領制への憲法改悪を無理やり行うなど、分断体制を利用しながら独裁を強化しました。また戦争でボロボロになった経済は、アメリカの支援に頼っていましたがその援助が減少すると、たちまち立ち行かなくなります。60年の総失業率は34%にもなりました。 
国民の不満が高まる中、1960年3月の大統領選挙で、事前買収票が4割、投票箱のまるごとすり替えなどの不正選挙で、李承晩が「92%」の票を集めるという事態が起こりました。いよいよ民衆の不満が噴出しはじめます。 
慶尚南道の馬山では、投票所から野党の立会人が排除されたことをきっかけに、大規模な市民デモが発生、デモ隊に警察隊が発砲し8名の死者が出ました。そして4月11日、行方不明になっていた高校生の金朱烈(キム・チュヨル)君の死体が、目に催涙弾が打ち込まれた姿で馬山の海に浮かんでいるところを発見されると、一気にデモは拡大し、政権打倒を目指すものとして、全国各地へ発展していったのです。
「生きられない。変えよう!」 
1960年4月19日、ソウルではほとんどの大学から学生が立ち上がり、そこに市民や高校生も加わって大規模市民デモ起こります。そして民衆が大統領官邸に向おうとすると警察が発砲!こうして4月19日は「血の火曜日」となったのです。 
しかし民衆の勢いは衰えず、25日には大学教授陣もデモに参加、そして翌26日、追い込まれた李承晩はついに辞任を発表。4・19から李承晩退陣までに倒れた犠牲者は200人近く。多くの血を流しながら、民衆は独裁を打倒したのです。 
独裁から解き放たれた韓国社会では議論が活発化して統一運動も高揚し、1961年5月には南北学生会談が南側から提案されるなど、統一を求める民衆のマグマのようなエネルギーが噴出しました。4月革命は韓国の民主化闘争の原点であり、統一運動を生み出した原点でもあるです。 
しかし、米国の後押しを背景に5・16軍事クーデターで登場した朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権は、4月革命の成果を軍靴で踏みにじりました。民主主義は蹂躙され、反共の旗のもとに統一運動も封殺されてしまったのです。そうして、4月革命は「未完の革命」といわれるようになります。 
しかし、4月革命の正義の闘いと勝利は在日同胞にも大きな希望を与え、「統一運動の烽火」を継承する私たち韓青が誕生し、4月革命精神を継承・発展させてきました。

(韓青Wikipediaより抜粋)

民主主義